竹の径・古墳めぐりコース
観光スポット案内
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@向日市文化資料館
向日市文化資料館
昭和58年開館。発掘調査により出土した長岡京の遺物を中心に展示をしています。 年に1度の特別展のほか企画展や各種の講演会等が行われています。向日市の歴史をひもとく第一歩として、皆さんもぜひ一度お立ちより下さい。
(1、2コース共通)
※開館時間:午前10時〜午後5時30分
休館日:毎週月曜・祝日、月末日
※向日市寺戸町南垣内40-3
文化資料館の地図の位置

向日市文化資料館
A元稲荷古墳
向日神社の北側の勝山公園内にあり、古墳時代前期(4世紀初頭)の全長約94mの前方後円墳です。 出土品には、刀剣類、斧、土師器の壷があります。また、埴輪の原型となる特殊壷形土器や特殊円筒埴輪も前方部から出土しています。周辺には、弥生時代の高地性集落と考えられる北山遺跡があります。
元稲荷古墳の地図の位置

B五塚原古墳
寺戸町芝山「はり湖池」西側の山頂にあり、古墳時代前期(4世紀)の全長約94mの前方後円墳です。後円部は直径54m・高さ9m、前方部は幅36m・高さ4mで典型的な古墳時代前期の形をしています。しかし、発掘調査等を実施していないため詳細については不明です。
五里塚原古墳の地図の位置

C桓武天皇皇后陵
寺戸町大牧にあり、直径約65m・高さ約7mの円形をしています。長岡京を築いた桓武天皇の皇后のお墓で宮内庁陵になっています。
桓武天皇皇后陵の地図の位置

桓武天皇皇后陵
D寺戸大塚古墳
寺戸町芝山にあり、古墳時代前期(4世紀)の全長約94mの前方後円墳です。第6向陽小学校 から竹林公園へと続く竹林の西側に雑木林の部分があります。これが古墳の後円部です。後円は直径約54m・高さ約10mの大きさですが、前方部は地形が変わり詳しいことはわかりません。
 発掘調査により、三角縁神獣鏡のほか多くの鏡が出土しています。これらと同じ形の鏡が出土する 古墳が京都府南部地域にもあります。離れた違う古墳から同じ形の鏡が出土することから、これらの古墳の被葬者の間に同盟関係があったのではないかとも考えられています。この他古墳からは、 管玉や刀剣類が出土しています。
寺戸大塚古墳の地図の位置

E物集女車塚古墳
物集女車塚古墳
物集女町南条にあり、全長約45mの古墳時代後期(6世紀中葉)の前方後円墳です。今まで巡ってきた西ノ岡丘陵の前期の古墳が南北方向に規則的に築かれているのに対して、物集女車塚古墳は丘陵から伸びる尾根を利用してほぼ東西方向に築かれています。後円部は直径28m・高さ7m、前方部は幅39m・高さ8mの大きさです。出土遺物には、埴輪、須恵器、土師器、馬具、刀剣類、装身具などが多くあります。
物集女車塚古墳の地図の位置

F淳和天皇火葬塚
淳和天皇火葬塚
物集女町出口にある宮内庁陵です。淳和天皇は、長岡京を築いた桓武天皇の第3皇子で、母は藤原百川の娘 旅子です、兄の嵯峨天皇の後を継いで皇位を継承し、嵯峨天皇の第1皇子の仁明天皇に皇位を譲りました。在位中は、政治改革を行うとともに「日本後紀」の編纂、「令義解」の作成を行いました。承和7年(840)に55歳で死去し、遺言により火葬にして京都市大原野の西山に散骨されました。ここは、天皇を火葬した場所とされています。
淳和天皇火葬塚の地図の位置

G物集女城跡
物集女城跡
物集女町中条にある中世の城跡です。東側には、南北に約100mの長さで堀や土塁の一部が残っています。これまでの発掘調査により、南北75m、東西70mの規模を有する城であることがわかりました。
  この城は、周辺を支配した物集女氏の居城と考えられ、長亨元年(1487)の上久世庄(現・京都市南区)の古文書に、物集女四郎右衛門尉光重という名前も見受けられます。織田信長が山城地方を治めるようになる天正元年(1573)桂川西岸一帯の支配を任せられた細川藤孝は、周辺の各城主に信長に従うよう命令をしました。しかし、物集女氏の当主忠重入道宗入はこれに従わず、天正3年(1575)に勝龍寺城において殺されてしまいました。これ以後、物集女氏と物集女城の記述は文書などから姿を消したようです。
物集女城跡の地図の位置

H竹の径
竹の径
「竹の径」はウォーキングや散策の場として市民の皆さんや観光客にも親しまれている西ノ岡丘陵の竹林道に巡らされています。
 竹の枝を約1.5mの高さで束ねて並べた「竹穂垣」を両側に設置した竹の径は、材料も地元の竹材を使い、情緒豊かな風情を演出しています。また、竹の径に隣接した古墳時代前期の前方後円墳で、三角神獣鏡も出土した「寺戸大塚古墳」の横約40mには、古墳の形をイメージしてデザインしたオリジナルの「古墳垣」を設け、歴史のロマンを魅了したものです。
竹の径の地図上の位置